マタイによる福音書 27章32〜44節 「愛する者に罵られた主」

 受難節を過ごしております。キリストの受難を覚える時。なぜ受難を覚えるのか。それは私たちもキリストと共にこの苦しみを体験するためです。ローマの信徒への手紙6章4〜5節を引用します。

 わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にあやかれるでしょう。わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。

 洗礼を受けるということは、キリストの死にあずかるということです。水がかけられるのは、一度死ぬということ。水は死と命を象徴しております。しかも、キリストが十字架で死なれたように、キリストと共に死ぬということです。

 キリストの十字架への道のりを私たちがたどっていくということは、キリストと一体となるということです。キリストの苦しみを辿って行くことによって、私たちはそれを体験する。実際にキリストほどに傷んだという経験はないかもしれないけれども、私たちはキリストの歩みの中に入れられて。私たちが実際に体験したことではなくても、それが私たちのものとなる。そういう信仰の中を生きているのです。

 イエス様は、ポンテオ・ピラトの邸宅につれて行かれて、邸宅の外で、裁判を受けました。ローマの裁判です。バラバという政治的な犯罪者が恩赦を受けて釈放されて、その半面イエス様は、十字架につけられるために、兵隊たちに引き渡されてしまいました。

 裁判が行われた場所は、ポンテオ・ピラトの官邸の外でありました。おそらく午前7時ごろに裁判を受けて、その後、実際に十字架にかけられるまでの時間。総督官邸に兵士によって連れていかれます。その官邸の中で、鞭で打たれたと記されております。この鞭の先には鉤爪や動物の骨がつけられていたと言われていますから。これで殴られたらひとたまりもありません。皮膚が切り裂かれて、肉が露出し、もしかしたら骨まで到達していたのではないか。肋骨などは外に露出しやすいものですから、肋骨が見えていたのかもしれない。

 これで、頭や顔まで殴られてしまったら、もうその人が誰であるかということさえ判別するのが難しい状態にまでなってしまう。恐ろしいほどの痛みを経験なされていたのです。

 もちろん、出血はひどかったでありましょう。血は凝固してかたまり、それが服に張り付いていた。

 聞いているのも嫌になる方がおられるかもしれません。しかし、これこそが実は私たちが神に背いた結果。神との関係が断絶し、忘恩の罪を犯し続けて、その結論として受けるべき刑罰であったのです。それをキリストがお受けになられている。まるでボロ雑巾のようにぐしゃぐしゃに皮膚が切り裂かれて、私たちが受けるべき罰をその身に背負っておられる。

 鞭打たれて、ボロボロの姿で兵士に連れられてポンテオ・ピラトの官邸の中に入っていきます。兵士たちに取り囲まれて、兵士たちの日頃のストレスのはけ口のようにされてしまう。マタイ福音書27章28節を見ますと。

 そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨の冠を編んで頭に載せ、また、右手に足の棒を持たせて、その前にひざまづき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。

 兵士たちは、あのユダの接吻の場面でもイエス様を捕らえるために出動していたはずですから、夜中からの活動を続けて眠ることもできずに疲れていたのかもしれませんが、イエス様を遊び道具のようにしました。

 服を剥ぎ取りました。この時も血液が乾いて固まってはぎ取るときにはそれが傷に引っかかって激痛が走ったことでありましょう。茨の冠をかぶせたとありますが、この茨も非常に鋭いものであり、ものによってはカミソリに匹敵するぐらいの鋭さがあった。だから、乗せられただけで痛む。肌が切れる。

 右手に葦の棒を持たせますが、イエス様がユダヤの王と自称していたという告発にもとづいて、王様ごっこを無理やりやってからかっているのです。王様が着るような外套を着せて、葦の棒は王の笏のかわりのものをもたせたのです。

 つばきを吐きかけて、イエス様が持たされていた棒を取り上げて頭をゴツンゴツンと叩き続けました。

 十字架刑に処されるときに、当時のならわしのようでありますが、十字架刑に処されるものが十字架を担いでいかなければなりませんでした。700メートルほどの距離の道のりを十字架の横木を担いで、おそらく70キロぐらいであったと言われていますが、それを担いで歩いて行かなければなりませんでした。勾配がかなりあって、重い物を担いでいくのは普段であったとしても大変でありました。イエス様の体は鞭で切り裂かれていましたので、出血多量によって、非常に苦しい状況であり、意識が朦朧としているなか、70キロもの重い十字架を運ばねばならなかった。だから、イエス様はその十字架の横木を自分一人では運ぶことができなかった。その光景を見た兵士たちは、近くにいたキレネ人シモンに無理矢理に十字架を一緒に担がせます。

 キレネ人シモンは北アフリカに住んでいたディアスポラの離散したユダヤ人です。この時は、過越の祭りでありましたので、エルサレムに帰って来ていた。前の晩に過越の食事をしてユダヤ教の祭りを過ごしていた。だから、彼は神を礼拝しに来ていたのでありました。十字架の現場は、たまたま居合わせたとしか言いようがない。彼は、イエス様の処刑を見るためにここに来たというよりも、通りかかっただけだったのです。

 ローマの兵隊は支配下にあるユダヤ人を自分たちの都合で無理矢理に強制労働につかせることができました。兵隊に反抗することはできないんです。シモンにとってみれば、彼は礼拝しにきたのであって。自分を王だと自称した人間の手助けをするなんて、嫌だったと思うんです。

 しかも、十字架刑に処されるものを助けるのです。木にかけられたものは呪われていると考えるので、呪われたもののそばにいるということが非常に屈辱であったに違いありません。

 マルコ福音書15章21節を読みますと、シモンのことがより詳しく書かれています。

 そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、

 と記されている。このアレクサンドロとルフォスというのはローマ教会で活躍した人達です。その父親であるということですから、この十字架を無理やり担がされて、いやいや従ったシモンは、のちに信仰に至って子どもたちにキリスト信仰を教えたということになるのです。

 シモンにとってははじめは喜ばしくない、嫌なことを無理矢理に背負わされたわけですが、この無理矢理に背負わされたという出来事を通して彼はキリストとの出会いに至ったわけです。光を見いだすに至ったのです。私たちの歩みにおいてはこういうことがそれぞれの人生の中で起こっているということもまた事実であろうと思います。苦しみが祝福にかわる。その瞬間があります。苦しみが神の導きであったことを後になって知るということが起こります。いや、この歩みすべてが実は神の導きだったのだと知る時がきます。そして感謝して神の御手を心の目で見るのです。

 十字架を背負われて丘を上って行かれるイエス様。シモンが一緒に担いだこの場所というのは、勾配がさらに急になる場所です。シモンの手を借りてやっと登りきった。

 そこでイエス様は十字架にかけられていきます。その時、34節。

 苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。

 と記されています。苦味には、痛みを鎮める効果がありました。十字架刑というのは、見せしめにして、さらしものにして、すぐには死なせないというものでありましたので。痛みを緩和することで命を長引かせようという目論見があった。ローマによる十字架刑というのは、この世で最悪の悲惨なむごたらしい刑だと言われているぐらいですから、処刑されていく人がすぐには死ねないようにという工夫が随所になされていました。

 しかし、イエス様は苦いぶどう酒は飲まれませんでした。意識をはっきりと保つためです。これを飲むと痛みが緩和されると同時に意識が朦朧としてくる。それを拒否されたのです。徹底的に痛みを味わい、徹底的に自分の意識を持ち、徹底的に自分が犠牲の小羊として捧げられていくというその現実の中。救いの業の中にご自分を置かれたということですね。そして、最後の瞬間まで、人類のための救いの業を行っているというその覚悟の中に、どんな痛みにも耐えて、どんな屈辱にも耐えて、そこにおられたのです。

 ちょうどイエス様が十字架にかけられて行くその時に、神殿がある丘では、過越の子羊が屠られていきました。子羊の血を流すことによって人々の罪が赦される。その時に、イエス様はゴルゴダの丘で十字架にかけられていました。神の業の不思議さ、神の御業は私たちに知るべきことを知れと迫ってくる。このイエス様の姿は神殿で屠られる子羊の姿に重なります。

 十字架の上で、神の独り子イエス・キリストは人々から嘲りの言葉、罵る言葉を受けられました。まず、二人の強盗がイエス様の左右に十字架にかけられて、ルカ福音書の記述によれば、彼ら二人はイエス様を嘲ったといいます。しかし、そのうちの一人は後で悔い改めてイエス様に対して信仰を告白します。イエス様の「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」という祈りを聞いて悔い改めます。

 確かに、十字架刑に処せられた人々は苦しみのあまりに、世を呪い、人々を呪い、叫びまくるということが多かったようですが、イエス様だけは、目の前の人のために祈っておられた。その姿を見て、1人の強盗は悔い改めたのです。そして、救われた。十字架を担いだキレネ人シモンもこの祈りを聞いたことでしょう。

 イエス様が十字架にかけられていた場所は人通りの多い場所でしたから、否がおうなしに人々の目に触れました。祭司長、律法学者、長老がイエス様を侮辱したと書かれている。また、ルカ福音書においては、ローマの兵たちもイエス様を侮辱したと書かれている。

 メシア、救い主であるのならば、そこから降りてこいと皆が言います。「メシアならば自分を救ってみろ。」この言葉は、マタイ福音書のはじめのほうにも同じような言葉が記されています。「神の子ならば、飛び降りたらどうだ」という言葉です。イエス様が公の歩みをはじめたとき、悪魔によって誘惑を受けますが、その時の悪魔の言葉。あの時、悪魔の言葉そのもの。それが人間の口から発せられている。それが人間の現実。悪魔のようには見えなくても、悪魔の誘惑におちて、悪魔のような判断を下し。神に対しては悪魔として振る舞ってしまう。

 もしも、この誘いにのって、十字架から降りたら信じてやろうという言葉に従って、イエス様が十字架から降りるようなことがあれば、神の子羊がささげられないということになってしまいます。罪の贖いが達成されない。神の御心が実行されないということになる。何より神の御心、神の愛、神の救いが実現していくこと。そのことが第一であって、自らの苦しみから逃れることそういうことは全くお考えになられなかった。

 ずっと、十字架上で何もいわず、わめきたてて苦しみを訴えることもせず、黙っておられる。この姿一つで、神はここにおられるということを私たちは心の中に示されるのではないでしょうか。

 私は小さなころから、人はその死に様こそがすべてなんだと思って生きてきました。死というものに直面した時に、その人の本心が露わにされるんだと。中学生の頃に「なんで生きているのか?」と周りに問うようになって、変人あつかいされるようになり。高校では推理小説にハマり、人が危機に直面した時にどう行動するのかということばかりを考えるようになった。そして、ついにイエス・キリストという十字架上で祈られる方と出会った。血を流し、骨が露出し、ボロボロの状態で、頭に茨の冠をのせられた侮辱され、つばきを吐きかけられ、メシアなら降りたらどうだと言われて。もう心はこんな状態で耐えられるものではない。しかし、イエス様は耐えて耐えて耐えて、祈りを。美しい祈りを。神の言葉、そうとしか思えない祈りをささげられた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」この言葉で私は神を知った。

 この教会にも何度か来られました、都島教会の井上隆晶牧師は、東方正教会の影響をお受けになられていますが。東方正教会の十字架ってご存じですか。八端十字架というのですが。十字架の上に一本の線があり、下の方にも横に一本の線が入っています。上の線は「ユダヤ人の王」と書かれたその札を表しています。十字架の下にある横線は、小さな横木、それは足を置く所だったようです。こうしたほうが、十字架にかけられたものは長く生きることができる。長く苦しむことになる。だから、こういうものがあったのではないかと言われています。この足のところの横木ですが、これは斜めになっているように描かれるんです。これは、イエス様の両側で十字架にかけられていた犯罪人が、1人は信仰を告白して、天に向かった。そのことを記しているのだと言われています。だから左が上がっている。

 たった一言、イエス様に対する信頼。イエス様の十字架への信仰。神の御業。イエスが神であるということを告白する。それだけで、あたなたはもう天にいる。それが私たちが古くから受け継いできた信仰です。イエス様への信仰です。あの十字架で屠られし、あの死は私たちのための死であったのだ。それを受け入れるものは、イエスと共に葬られ、イエスと共に復活する。イエスの命の内側に入れられてしまっている。イエスと一体である。

 今日、ボロボロになって十字架にかけられていくイエス様の姿を心の中に見ました。その方を主と信じ従う人は、もうその時点でキリストにつながり、キリストの死にあやかり、キリストの復活の中に入れられる。その人は天に必ず迎え入れられる。キリストの業ゆえに。

 キリストを信じて、救いにあずかりましょう。アーメン。