創世記41章25-36節「沈黙される神」

信徒説教 黒島英朗

 本日は、ヨセフの物語です。エジプトに奴隷として売られたヨセフがエジプトの宰相にまでなる物語です。先週の復習のつもりでお聞きください。

 聖書では神様の事をよく「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と紹介されます。アブラハムの子供がイサク、イサクの子供がヤコブ、ヤコブの子供が今日の主役ヨセフです。ヨセフの父ヤコブは、神の使いからイスラエルと名乗るように言われて改名します。聖書では両方の名が使われますが、今日はヤコブの名前を使います。

 ヤコブには2人の妻レアとラケル、加えて2人の側女がいました。そして、12人の息子が生まれます。しかし、本当にヤコブが愛していたのは妻のリベカでした。愛する妻リベカから生まれたのがヨセフです。

 創世記37章2節3節、旧約聖書63ページをお開きください。お読みします。

 『ヤコブの家族の由来は次のとおりである。ヨセフは17歳のとき、兄たちと羊の群れを飼っていた。まだ若く父の側女ビルハやジルパの子供たちと一緒にいた。ヨセフは兄たちの事を父に告げ口した。イスラエルは、ヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼に裾の長い晴れ着を作ってやった。』

 ヨセフは、いきなり嫌な性格です。ヨセフは11男で、先ほども申し上げたように父の愛する妻ラケルの子です。ラケルには中々子供が出来ませんでしたが、やっと二人の子供が生まれます。ヨセフと弟のベニヤミンです。しかし、ベニヤミンは難産で、お母さんのラケルは難産の為死んでしまいます。父にとってベニヤミンは愛する妻ラケルの死を思い出させるものでした。

 父ヤコブは、年寄り子のヨセフを溺愛し、ヨセフにだけ高価な裾の長い晴れ着を作ってやります。さらにヨセフは、父に兄たちの告げ口をします。兄たちは、ヨセフの告げ口のせいで父に怒られたのではないかと思います。

 創世記37章4節には『兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。』とあります。

 その兄弟たちの憎しみを更に増し加える出来事が起きます。創世記37章6節からお読みします。

 ヨセフは言った。「聞いてください。わたしはこんな夢を見ました。畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。

 続いて9節の途中から

 「わたしはまた夢を見ました。太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです。」

 ヨセフは兄たちに「兄さんたち聞いてください。」と見た夢を得意げに話します。何と空気の読めない嫌味な弟でしょう。兄たちは「何、お前が我々の王になるというのか。」と益々ヨセフを憎むようになります。父は、「兄たちばかりではなく、わたしもお母さんもお前の前にひれ伏すと言うのか。」と叱りつけました。すなわち太陽が父で月が母、星は兄たちです。

 このヨセフの夢の事で兄たちの憎しみは殺意にまで発展していきます。しかし、父はこの事を心に留めていました。当時の人々は、夢には意味があり、夢を通して神様が御心を語られると信じていました。父ヤコブも夢を通して神様の語りかけを受けた一人です。

 ある日、父はヨセフに羊を飼っている兄たちの様子を見てくるように頼みます。17歳のヨセフは、わざわざ裾の長い晴れ着を着て兄たちの様子を見に行きます。羊を飼っていた兄たちは、働きもせず、父に溺愛されている事の象徴である豪華な晴れ着を着て、遠くからやって来るヨセフに気づきます。働いている兄たちの所に晴れ着で登場する。皆さん考えられますか?そこは街中ではありません。羊を放牧しているような野原や荒野です。晴れ着を着て来るような場所ではありません。兄たちの気持ちを思いやれないヨセフの姿がそこにあります。そして、ここで事件が起こります。遠くから近づいてくるヨセフの姿を発見した兄たちは、ヨセフを殺す相談を始めます。そして、ヨセフの着ていた晴れ着を引き剥がし、ヨセフを水の枯れた空井戸に突き落とします。しかし、結局兄たちは、必死で助けを請うヨセフを貿易商人に奴隷として売ってしまいます。

 ヨセフは、エジプト王ファラオの高官ポティファルの奴隷となります。ポティファルは王の囚人の刑を実行する長です。父の偏った愛情により兄たちから憎まれ、見た夢を得意げに話した事により殺されそうになり、17歳で見知らぬ国に奴隷として売られたヨセフ。何という悲劇でしょうか。しかし、ヨセフはこの事件を通して別人のように変わります。新しく生まれ変わったと言っても良いくらいの変わりようです。「主なる神が共におられる」と何度も語られています。ヨセフは神の御心を第一とし、周りの人々を思いやり、主人ポティファルの全幅の信頼を得ます。そして、何と主人の食事以外その家の全ての事と全財産を任されるまでに至ります。

 兄弟に殺されそうになり、見ず知らずの異国へ奴隷として売られるというのは、どれ程不安な事でしょう。想像もできません。しかし、ヨセフはこの悲劇の中で、悔い改め、父ヤコブそして祖父イサクの信じている神を求め強く信じたのです。その頃まだ祖父イサクは生きていました。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と称される神。そのイサクとヤコブのまさに生きた信仰を見てヨセフは育ったのです。ヨセフは、この試練の中で神を信じる強くて愛のある人間へと変えられました。

 この幸いを得たように見えた状況の中で、突然更なる悲劇がヨセフを襲います。ハンサムで体格も良かったヨセフに主人ポティファルの妻が好意を寄せ、誘惑するようになりました。それを拒み続けたヨセフを、ポティファルの妻は罠にはめ、ヨセフは王に罪を犯した囚人たちが入る牢獄に入れられてしまいます。

 何という事でしょう。異国に奴隷として売られ、今度は無実の罪で囚人となるとは…。そんな捨て鉢になりそうな状況の中でもヨセフは信仰を失いません。ここでも「主が共におられる」と語られるのです。そして、この監獄の中でさえヨセフは監守長に認められ、獄中の全てを取り仕切るようになります。この監獄の囚人は、王に使えていた高官たちです。囚人とはいえ気位が高く、さぞ扱い難い人たちだったと思います。その取り扱い困難な人間関係を、ヨセフはうまく取り仕切っていたのです。兄たちに晴れ着を見せびらかしていた気遣いのないヨセフは、もうそこにはいません。

 ある日、その牢獄にファラオに罪を犯した毒見役の給仕長と料理長が囚われてきます。その囚人たちが同じ日に気になる夢を見ました。夢の事が気にかかりイライラしている囚人にヨセフは、「今日はどうしたのですか?」と優しく声をかけ、その夢の解き明かしをします。そして、給仕長には、3日後に元の職に戻される事を予告し、料理長には、なんと3日後に死刑にされる事を予告します。そして、給仕長に「あなたが復職し幸いになったら私を思い出し、ファラオに牢獄から出られるように取り計らってください。」とお願いします。3日後はファラオの誕生日でした。ヨセフの夢解きの通りに給仕長は特別に赦され復職し、料理長は死刑にされてしまいます。

 しかし、何という事でしょう。復職した給仕長は、ヨセフの事をすっかり忘れてしまいます。1ヵ月が過ぎ、半年が過ぎ、2年が過ぎました。ヨセフは30歳になっていました。ヨセフにとってエジプトに売られてからの11年間より、この2年間の何と長く辛い日々だったことでしょう。釈放を期待していたのに何も変わらない。何も起こらない。こんなに辛い事はありません。

 その時、ファラオが夢を見ます。ナイル川から7頭の肥えた牛が上がって来ます。しかし、後から上がって来た7頭の痩せた牛に食べられてしまいます。また、7つの良く実った穂を砂漠から吹いてくる熱風で干からびた7つの穂が飲み込んでしまいます。ナイル川の水量は穀物の生産量に大きく影響します。また、砂漠からの熱風は作物を枯らしてしまいます。その夢を見てファラオの心は騒ぎます。これは、意味がある夢だと。そして、国中の魔術師と賢者を集め、夢の解き明かしを命じますが、誰一人解き明かせる者はいませんでした。

 その時です。あの給仕長がヨセフの事を思い出します。ヨセフが自分の見た夢を解き明かし、その通りに復職した事をファラオに告げます。早速ファラオは、牢獄からヨセフを呼び寄せます。

 創世記41:25をお読みします。

 ヨセフはファラオに言った。「ファラオが見た夢は、どちらも同じ意味でございます。神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。」

 夢の解き明かしをするのは、あくまでも自分ではなく“神”なのだと何回も繰り返しヨセフは告白します。そして、7年の大豊作とその後に来る7年の大飢饉を予告します。それだけではありません。ヨセフは、それに対処する具体的な対策を示します。創世記41:33〜36をお読みします。

 『このような次第ですから、ファラオは今すぐ、聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を治めさせ、また、国中に監督官をお立てになり、豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように。』

 これを聞いたファラオは、

 「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵ある者は、ほかにはいないであろう。私は今、お前をエジプト全国の上に立てる」

 と言って、ヨセフをエジプトの宰相にしました。

 ヨセフは、夢の解き明かしを自分の能力としてファラオに言う事もできました。しかし、ヨセフはそうしませんでした。しかし、夢の解き明かしの後の対策は、ヨセフの能力ではないでしょうか。

 奴隷としてポティファルに仕え、その家の全ての管理を任され、囚人でありながら監獄を取り仕切る中でヨセフが身に着けていった能力です。

 これまでの13年間の苦難の道のり。これは、何一つ無駄なものでは無かったという事です。兄たちから奴隷としてエジプトに売られた事、ポティファルの妻の罠により王の囚人の入る監獄に入れられた事、2人の囚人が入ってきた事、その一つが欠けても今のヨセフは存在しません。溺愛する父の下でずっと暮らしていたら、ヨセフはどんな大人になっていたでしょう。もしヨセフがもっと早く釈放されていたら、ファラオの給仕役に会う事は出来ませんでした。ヨセフ個人の幸いだけでなく。エジプトの国民、周辺の国の国民、そして何より父の一族の救いの為に、この13年間は必要だったのです。ヤコブ一族の救いというのは、信仰の父と呼ばれたアブラハムと神様との契約「あなたは多くの国民の父となる」という契約を実現するために絶対必要なことでした。

 私たちの願いと現実には大きな隔たりがある事が多々あります。しかし、大きな意味で神様の“時”があるというのです。神様は沈黙されているように見えますが、すべての事を準備しておられます。

 ヨセフの目には悪い事に見えても、ヨセフの為に必要な事でした。同じように、私たちの目には絶望的な状況でも神様の導きを信じ、ヨセフのように淡々となすべき事をなしていると、神様は最も良い時に事を起こしてくださいます。ましてや神様は、一人子なるイエス・キリストを私たちの為に十字架に架ける程に私たちを愛してくださる神様です。神様の愛と導きを信じ歩んでまいりましょう。