燭火礼拝2019 ヨハネ3:16−21 

石井和典 牧師

 御子イエスと出会った人々が、今までとは全然別次元の生活をはじめてしまった。それがクリスマスに起こったことです。

 神が現れてくださったからです。唯一なる、全能の神、すべての支配権をお持ちのお方。人生を1〜10まで、1%から100%まで、すべて支配している。その御方。世界のはじめもおわりも知っておられる。今日、どうなるのか、明日どうなるのかを知っておられる。わたしたちの運命を左右することができる。わたしたちがどう生き、どう死ぬのかを決することができる。

 このお方が、御子イエスの姿をとって、私達の間に誕生してしまった。その御方は、私達とずっとご一緒にいてくださる。インマヌエルなるお方。主は我々と共におられる。信じるもの皆が経験するようになる。

 信じなければ見えませんが、信じると見えるようになる。クリスマス物語に記されていることは、いままでおぼろげながらしか見えていなかった神の業が、鮮明に出来事を通して見えるようになってしまった人たちの記録と言い換えても良いと思います。

 教会に来ると、見えなかったものが見えるようになります。神様の御手が見えるようになるという意味です。力が湧いてこなかった人が、無尽蔵に力が湧いてくるようになり。絶望していた人が、希望の光を絶望の中に見出すようになり。心が冷めきっていたひとが、いつも心が温められているような状態を経験するようになります。

 御子イエスは誕生なさいました。その知らせは、羊飼いと占星術の学者たちに届けられました。羊飼いというのは社会の底辺と言ったらよいのでしょうか。貧しい人でした。占星術の学者は、黄金、乳香、没薬という非常に高価なものを捧げることができましたので、当時のセレブと言ったらよいでしょうか。社会階層の上から下まで、主が御使いを通して御子の誕生の知らせを届けてくださいました。

 イエス様は、いつも神の国のことを、羊飼いと羊という誰もが親しみやすいたとえを用いてお話くださいました。すべての人が神の国を受け入れることができるように。王であられながら、王室の誰にも見えないところの話として神の国をお教えになられたのではない。

 庶民の話として神の国をたとえを用いてよく説明なさいました。

 目を開くならば、神の国の、神の側からの強烈な接近というものを聖書の中に感じ取ることができます。

 主は赤ん坊として、飼い葉桶の中に、家畜小屋の中の汚れた桶の中にお誕生くださいました。飼い葉桶というのは、この世を指し示すと同時に、私達の汚れた心や内側をも指し示しています。匂いのする汚れた、不衛生な、整っていない、ありあわせの、神を迎えるにはまことにふさわしくない、なにもわかっていない、その心に主はお誕生くださるのです。

 そして、誕生なされたら、そこを神の栄光の輝く場所に変えてくださる。

 家畜小屋を神の栄光の輝く場所にしてくださいます。

 小屋といっても、当時は洞窟の横穴のような場所です。家畜がいたわけですから、きれいではありません。薄汚れた場所を主は栄光の光で輝く場所に変えてくださいます。

 言葉が与えられます。羊飼いにはこのような語りかけがありました。ルカ2:10。

 恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。

 そして、彼らは、この天使からいただいた言葉を信じたので、すぐに行動を起こしました。信じるということは、行動に至るということです。信じていないと行動しませんが、信じていると人は行動します。

 信じるといことは非常にパッシブというか、受動的、動かないもののようにとらえられることもありますが。そんなことはありません。生きておられる主を信じたら、その人は、どうしたってアクティブにならざるを得ない。体は動かなくてもです。一歩もうごけなくても、信じ始めると、その人の心が躍動し、新しいアクションにつながっていきます。

 羊飼いたちは、自分たちが野宿していた場所をはなれて、ベツレヘムに入っていきました。すると、信じて、言われたとおりに行動して、したがって見ると、実際に出来事が起こっていることを目の当たりにすることになりました。

 聖書の言葉が入ってきて、それを信じて、行動してみると、ほら現実に主がお働きくださっている神の御手を発見して、喜びに満たされて讃美が心のなかから湧いてきて、歌が湧き出してくる。

 罪から解き放たれて、神との関係が回復されて、神経が回復されてくると、祈りにさらに力が入ってくる。御言葉を聞き、祈りに時間を費やすようになります。すると、祈りに時間を費やした分だけ、目が見えるようになってきます。更に、たくさんの主のおはたきを見出すことができるようになります。

 インマヌエル!! 主は我々と共におられる。そこにもあそこにも、ここにも、うわぁ。主の御手だらけだったのに、気づかなかった。すると、更に聖書の言葉が心に入ってきて、祈りの時間がますます増えていく。

 永遠の命をすでに受けて、御子が自分の内側に誕生してしまっていることを確信し、喜びにさらに満たされるのです。

 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 切れていた無線が回復して、どこに行けばよいのか、どこに行けば命が助かるのか、わかるようになってしまう。

 戦争の只中で兵士の無線が復旧して本部と連絡をとることができるようになる。そんな感じで、神とのホットラインが回復していく。それが信仰の世界です。

 永遠の命への道が、この聖書と祈りの中に復活していることを経験するようになります。

 信じないものは、このホットラインを経験できないので、主がこちらへいきなさい、あちらへいきなさい。そうすれば救われるということを聞けないので、滅びに向かってしまいます。

 しかし、どこに行けばよいのか、ホットランが復活しているものはわかるのです。だから、裁かれることはなく、命に至る道を見出します。

 命の至る道がここにあります。どうぞ信じてください。そうすれば、主の業が見えます。もう、すでに、主イエスに対する期待感が芽生えて、祈りに心が向いている方もおられると思います。その心のままに、主イエスの名によって祈ってください。今までと違う人生をはじめましょう。