マルコによる福音書4:20 「良い土地に蒔かれる」

石井和典牧師

 神の言葉である聖書は一日中振り返り、反芻しつつ歩みますと、人生そのものを大きく変えていく言葉です。ユダヤの民は今も扉のところにメズーザという箱をつけて、部屋に入るたびに必ずそれを触るのです。御言葉に触れ続けるのですね。その箱の中には申命記6:4のみ言葉が記されています。

 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

 この後半部分は、イエス様が最も重要な掟として上げてくださった重要な箇所です(マタイ22:37)。イエス様は皆がすでに大事にしている、いつも触れている、その御言葉こそが大事だぞと教えてくださったということです。しかし、イエス様があえてそのような基本的な掟を強調されて、あらためて最も重要な掟として教えてくださったということは、人間はその掟を素通りしてしまっている場合があるということです。もしくは聞いていないということが起こっているということを覚えなければいけないということです。

 本日引用されているのは20節ですが、この一連の流れのはじめの部分を見てください。マルコ4:3です。

 よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。

 目の前にいる大勢の群衆を前にして、舟に乗ってイエス様は、「目の前にいる、あなた方よく聞きなさい!」とおっしゃられたということです。二人称命令形が記されています。ギリシャ語でアクーエテと記されています。これは申命記6:4の言葉に通じる言葉です。「聞きなさい!」です。

 「聞け!イスラエルよ!」というこの言葉は今もユダヤの民の祈りの中心です。

 イエス様は、申命記で神様がお語りくださったように、全能の父なる神と等しい御方として、今日の御言葉を「神の言葉」として語り、しかも目の前にいる人々がこれを神の言葉として受け入れてそして、最後の結論100倍もの実を結ぶようにと願っておられるということ。これをまず受け止める必要があります。これが我々の心に響きはじめて、わたしたちの歩みの内に神の言葉による変化というものを起こそうとされているということが伝わってきます。100倍の実りです。だから、「聞け」という命令なのです。

 本当にわたしは信じるものとして歩みの中で100倍の実りを実らせているだろうかと、今一度問うてみる必要があります。

 

 どうですか、その現状の中で、主はこの言葉をもってして皆様を導こうとされています。だから「聞け、キリスト者よ。」なわけですね。

 そして、今日の御言葉は「聞く」と言っても「いろんな聞き方があるね」という話しです。語りだされるイエス様はいつも変わらず神の独り子として、神の言葉を語りつづけられます。このスタンスにブレなど一ミリもありません。ですから、この神の力あふれる言葉を我々がその心にしっかりと宿すならば、いつでも100倍の実りが期待できます。

 しかし、キリストが神様が「聞け」と大声で叫ばれて何度もおっしゃられ、それがユダヤの民の毎日の祈りの中で祈り続けられているということがミソですね。聞き方によってどうなるかが決まるということです。

 4つのパターンを主は教えてくださいました。

 1つ目はマルコ4:4です。

 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。

 神の御言葉が種です。種が蒔かれます。しかし、その種を鳥が食べてしまった。鳥というのは、イエス様が15節で説明してくださっているように、サタンです。サタンは御言葉が発芽して根を張り、成長して実を結ぶことがないように種である御言葉を成長するまえに、取り除いてしまうということです。何度聞いても、何も残らないというのは、サタンが取り去っているからだと主イエスは教えてくださったのです。

 こういう状況というのは、おそらく御言葉に向き合う人ならば誰でも経験していることではないでしょうか。神の言葉は大事だと思いながら、それが自分の心の土壌に植えられることなくいつもどこかに飛んでいってしまって、何も実ってないなと言う状況です。こういう状況だと何年、何十年信仰生活を続けたとしても、何も変わらないということになってしまいます。

 2つ目はマルコ4:5です。

 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。

 これはイエス様が説明してくださっているとおり「根がない」状態です。根がないということは、生活に行き渡っていないということです。実生活に染み渡っていないということです。受け入れてはいるのだけれども、御言葉によって生きていないということです。礼拝は守っているけれども普段の生活は全然御言葉と関係ない生活をしているというようなイメージです。生活に根をはっていないから、根がないと実りを実らせるまで成長しないことはもちろんのこと、何か都合の悪い出来事が起こるとつまずきます。全部吹き飛びます。

 そして、3つ目です。マルコ4:7です。 

 ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。

 茨というのは「思い煩い」と「富」と主は教えてくださいました。言い換えると「自我」と「欲望」ですね。自分はこう思うということが先立って神の御言葉を覆い塞ぎます。不安、怒り、悲しみや不平不満。様々な自分の心から湧いてくる自分の思いが、御言葉が成長するのを妨げます。それから、欲望の虜となって心をそちらの方に向けていくと、覆いがかかって日光が当たらず、成長しないのです。

 そして、最後4つ目。

 マルコ4:8。

 また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。

 最後は良い土地です。良い土地というのはどういうものでしょう。イエス様は単純な真理をはっきりと断言されて教えてくださっています。この言葉に心をとめなければなりません。マルコ4:20。

 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。

 良い土地であり、実を結ぶものとはどんなものかというと「御言葉を聞いて受け入れる人」であると主は断言されています。

 そして、また話ははじめにもどりますが、聞くとはどういうことですか。

 主イエスが舟にのって群衆を前にして、その群衆の一人ひとりの顔を見ながら。

 「あなたが!聞きなさい!」

 とおっしゃられた、二人称命令を思い出してください。

 

 他の誰かではない。「あなた」が聞くのです。 

 サタンに御言葉を奪われたもの、御言葉が生活に根を張っていないもの、自我や欲望が邪魔して実らないもの。

 多くの場合「あの人のことだなぁ。あの人も悔い改めればいいのに。あのような人でなかったことを感謝します。」というように、自分の気に入らない人のことを言っているのだという聞き方をするのです。

 そうではありません。「あなたが!聞きなさい!」です。それがイエス様の御言葉です。

 主イエスが言われているその場面場面のことを自分の信仰生活に照らし合わせて聞く民。サタンに奪われ、石地であり、茨が覆っていた、それが私だった。それを自分のこととして聞く、それこそ聞く民ですよね。その聞く民に約束されていることはなんですか。

 主は実を結ぶと約束されているのです。

 イエス様がご自身の命を十字架で投入してくださったおかげで、「聞け!」をわたしたちは主イエスの叫びとして聞くことができるようになりました。「あなたが聞きなさい」なのです。そして、「あなたこそが実を結びなさい!」なのです。幸いです。主の約束があります。アーメン。