創世記 6:1〜7 「洪水の時代」

石井和典牧師

 主が洪水を起こされました。主が主語であることが非常に大きなポイントです。神が天変地異を起こされています。その理由が創世記6:11に記されています。

 この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。

 洪水を起こされた理由は、すべての肉なるものが堕落し、不法に満ちてしまっていたからです。その有様を主は御覧になられて人を創造なされたことを後悔なさいました。創世記6:6。

 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。

 と記されています。しかし、ある一人の人だけは違いました。それはノアです。慰めという意味の名前です。ノアの存在自体が神様ご自身に対する慰めともなっていることが非常に面白いです。当初はノアのお父さんがこのような思いでノアと名付けました。創世記5:29。

 彼は、「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」

 との思いからノア(慰め)という素晴らしい名前をつけました。人が主と同じ思いで満ちているということがいかに重要か、ノアから学ぶことができます。どんな思いで満ちているかで、どんなことを行うのか、どういう結果をもたらすのかということが決まります。心に悪を思うか、ノアのようにその名前のとおり主を慰めるような存在になるのか。

 ノアに対する言葉を深く探っていきますと、「悪」というものがどのようなものなのかが見えてきます。

 ノアに対する聖書の記述で最も有名なもの、そして最も重要だと思われる箇所が創世記6:9です。このノアから新しい時代がスタートします。

 これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。

 「ノアは神に従う無垢な人であった」という言葉。それから「ノアは神と共に歩んだ」という言葉が並べられていることが決定的に重要です。

 まず「ノアは神に従う無垢な人であった」ですが。この無垢という言葉に集中してください。無垢というと、なんとも難しい言葉といいましょうか。辞書にあたりますと、「潔白で純真なこと」と記されています。原典に当たるとどうでしょうか。そこにははっきりと重要な言葉が記されています。

 原典のヘブライ語は、「完全で」「義しい」人と記されています。すなわち、ノアというのは悪とは真逆で、神が完全でこの人こそ義しいと認めた人であったということです。そして、完全で義しいとは、これもまたある所、漠然としているように見えますが、そこに具体性を与えるとどうなるかというと、次の言葉です。

 「ノアは神と共に歩んだ」です。

 神と共に歩むことこそ、完全で義しいことなのです。一章さかのぼって創世記5:24にも完全で義しい人がでてきますが、その人はエノクです。

 エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。

 生きたまま天に挙げられるということが、義なる人がたどっていくパターンですが、エリヤも同じように、生きたまま天に挙げられました。エノクにも「神と共に歩み」という言葉があります。

 では共に歩みということはどういう意味なのでしょうか。それを探りますと、原文をまた掘り下げますと「ヒトハレフ」と記されています。この歩むという言葉は「歩き回る」とも訳せ、また「生活する」とも訳せます。

 「主と共に生活する」このように訳するのが、私達の日頃の信仰生活に根ざした理解につながるのではないかと思います。義なる人は、「主と共に生活する」人です。

 アダムとエバの失楽園によって、堕落した人類でありました。その後に、すぐに兄弟の間での殺人が起こりました。アベルとカインの問題です。カインは神様にすべての判断基準を委ねて従うことができずに、怒りに燃えてアベルを殺しました。しかし、主はそこからすかさず回復への道のりをつけてくださっていました。アベルの代わりにセトという子供が生まれ、そのセトの子供から「主の名を呼び始める」のでした。創世記4:26です。

 セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。

 「主の御名を呼ぶ」というのは、「祈る」ということです。祈るということは、主の言葉に聞くということです。主の祈り、主の応答を待つということです。

 それこそが、主に善悪を聞くということです。すなわち、主と共に生活していくということです。申命記にある「聞け、イスラエル」という今もユダヤの民が鴨居に打ち付けている箱の中に、申命記6章の言葉が記された紙が入っています。

 主はこのような次第に堕落していく人類の中に、完全で、義しい人を起こしてくださり、その人は主に聞いて、主と共に生活をしていきますので、主の業を行う人となるのです。創世記6章を見ますと、人々は主に聞いて、主の業を行うということではなくて、自分の心にだけ聞いて、自分の好き勝手に、好いた惚れたに走ります。

 創世記6:1に神の子という言葉がでてきて、その神の子が人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にしたと記されています。神の子というのは、聖書解釈の中で様々な理解がされてきました。天使のような存在ではないかとか、当時の神話的物語をもとにした話しではではないかとか。しかし、ここで言いたいのは、神の子というのは「天的な、天使的な存在、または霊的な存在」と言ったらいいでしょうか、そのものたちと、人間との間に子供ができたりして、この主が定められた秩序を乗り越えて、自分たちのやりたいようにやっているそのような姿が描かれ、それを見て、主が後悔なされたということです。神様が天と地との境界や住むべき場所をお定めになられて、主のご意思に従って本来ならば、人は人の分を守って、主の恩寵のもと生きていくべきでした。しかし、それらを我がものとして、善悪をすべて自分で判断して、自分が神のようにでもなったかのような行動をとりはじめているのです。その秩序の崩壊がここに記されていることです。

 それは、「神に聞くことなく」自分の思いで生活し、自分の思いだけで歩んでいる人間の姿です。何も神話的なかつての古代の話しではありません。神による秩序が崩れている。

 ノアはその世代の中で、神と生活をする人だった。だから、完全であり、義しいものと主に評価されています。しかし、彼の内にだって、アダムとエバから受け継いでしまった罪があったことでありましょう。しかし、彼は常に主に聞いて、主に帰っていったのです。堕落した肉なるもののただ中に、主は主に聞くものを起こしてくださるのです。それがノア。だから、ノアは主の言葉を聞きます。創世記6:13。

 「すべて肉なるものを終わらせるときがわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。」

 神が定められた、天的な存在と地上的な存在と、神の思いと人の思い、神のご計画と人の計画。神の善と人の善。そういったものを飛び越えてごちゃまぜにして壊していく。結果神がどのようにおっしゃられたのかではなくて、自分たちにとって都合の良いこと、自分たちがこうありたいということ、自分たちの願い、欲望が優先されていく。その始まりは、すべて善悪を主に聞かないというところからはじまっています。「聞かない」ということが、あらゆる不法が満ちる原因です。

 ノア一人だけが、「世がこうあったほしい」ではなくて、「主のご計画」に耳を傾けました。135メートルの箱舟を建造することなど、神の計画を見ない人にとってみれば狂気の沙汰でありましたでしょう。まさか、神が一度「肉なるものを終わらせる」時を来たらしめようなどと考えているとは思えない、「聞かない人たち」にとっては、現実の世界を主が動かしておられるということはどこかに吹き飛んでしまっていたに違いありません。自分たちがこの世がどうあって欲しいかだけです。

 洪水が終わり、箱舟から出た時、ノアがしたことを見てください。創世記8:18、19、20。

 そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た。獣、這うもの、鳥、地に群がるもの、それぞれすべて箱舟から出た。ノアは主のために祭壇を築いた。

 いつもいつでも変わらずノアが主と共に生活していたことがわかります。何よりも先に最優先して主のこと。礼拝の現場である祭壇を形作ることを最優先しました。

 本日朗読された創世記6:1〜7の天的な存在と人間との神を無視したやりたい放題というのを、どこか遠くの神話としてとらえないでください。主を無視したやりたい放題、主に聞かずにしたこと、主を生活から排除して、自分の欲望に走っていくこと。ノアのように物事が起こったらすかさず礼拝の場に自らを置くこと、それはどんな時でもどんな場所でも、すべてが破壊されて、全てが流されて、洪水の後であっても、礼拝の場に自らを置くことを可能です。

 神を最優先にする心があるのならばです。船から出てすかさずにすることはなんでしょうか。飲めや食えやのどんちゃん騒ぎでしょうか。それとも、主のみ前に再び静まることでありましょうか。 ノアは、創造の主の御力に溢れた主の轟く力の言葉、祝福の言葉を聞きました。創世記9:1。 「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」と。

 洗礼の水は、ノアの裁きの水だと言われています。一度死ぬのです。しかし、その裁きを経たものたちが、新しい命とともに主の御声を聞く。本質に気づいて、命に至って帰る場所に帰ってください。創世記6章に登場する、ノアや神の子、人の娘、滅ぼされて行った人々。自分はどこに立っているのか。主のご計画か、自分の計画か。肉のものはいつも必ず壊れて新しくされるのですから、主の心に聞いていきたいと思います。アーメン。