マタイによる福音書連続講解説教
2024.10.6.聖霊降臨節第21主日礼拝式説教
聖書:マタイによる福音書14章1-12節『 洗礼者ヨハネの歩み 』
菅原 力牧師
今日朗読された聖書箇所には、洗礼者ヨハネが、領主ヘロデによってとらえられ、牢入れられた後、ヘロデによって惨殺されたことが記されています。洗礼者ヨハネの最期が記されているのです。
洗礼者ヨハネについては、これまでも何度かお話ししてきましたが、イエス・キリストの証言である四つの福音書において、これほどまでに詳しく、行動や発言が語られている人物はイエス・キリストの他にはなく、この人に注がれている福音書の強い眼差しが感じられるのです。
今朝はこの洗礼者ヨハネの最期の出来事を心に刻みつつ、ヨハネの歩みに思いを寄せ、主イエスが洗礼者ヨハネから何を受けとっておられたのか、また主イエスは洗礼者ヨハネとの関係を通してわたしたちは指し示しておられるのか、ご一緒に聞いていきたいと思います。
洗礼者ヨハネの宣教はとても輪郭のはっきりとした、クリアなメッセージでした。「悔い改めよ」が彼の語った言葉でした。ヨハネの意を汲んで訳せば「立ち帰れ」でした。神に立ち帰れ。悪から離れ、神無きものから離れ、神に立ち帰れ。自分のエゴからも、自分の罪からも、自分の悪からも離れ、神に立ち帰れ、なぜなら、神の審判の時はやがて来るから。今こそ神に立ち帰って、神の前で悔い改めよ、という旧約の預言者の伝統に立つ、メッセージでした。そして悔い改めの徴としての洗礼をヨハネは授けたのでした。それは神の審判の時に向けて、わたしの悔い改めの徴となるものでした。
もともとこの時代の宗教は何らかの形の洗い清め、という儀式を持っていました。しかしヨハネの洗礼はそれらの洗い清めとは違っていました。ヨハネの洗礼は、一度きりのものでした。しかも、その時代の洗い清めが自分で自分を洗うものであったのに対して、ヨハネのそれは、自分以外の人間によって、つまりヨハネによって受けるものでした。バプテスマというのは、もともと浸す、水の中に浸すことです。ヨハネは洗礼を自分で自分を洗い清めるということから、他者によって水に沈められて、一度死ぬこと、そして新しく、神によって生きるものへと新生していく、そのようなものとしての洗礼をまさに授けた。だから洗礼者ヨハネと呼ばれたのでした。
ヨハネは旧約時代の預言者たちと同様、相手が誰であろうと、「立ち帰れ」のメッセージを語った。それがユダヤ人であろうが、異邦人であろうが、身分の高いものであろうかなかろうが。ヨハネは領主ヘロデに対して、あなたの結婚は、律法に適っていないということを語り、悪から離れ、神に立ち帰るよう語ったため、牢に入れられたのです。
主イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた。それはすなわち、ヨハネの宣教のメッセージを、また洗礼者ヨハネの洗礼活動を神の導きによるものと受けとめたからのことです。主はヨハネの洗礼を受け入れておられた。と同時に、主イエスが洗礼を受けたことは、主イエス独自の意味がそこに込められていきました。生涯に一度、罪の自分に死んで新生へと導かれる。しかし主イエスは罪人ではなかった。にもかかわらず、洗礼を受けられた。それは洗礼において主は罪人を負い、罪人の死を負うものとされることをご自分の使命として受けていかれた。
「わたしには受けねばならない洗礼がある」とルカ福音書で主は言われた、それはまさしく罪人のための死、十字架の死のことであり、それを洗礼と呼んでおられる。つまり主がヨハネから洗礼を受けられたその時、主はそこで、十字架の死を受けとめ受け入れていかれたということです。
洗礼者ヨハネによる洗礼は、神に立ち帰る、悔い改めの徴としての洗礼でした。しかし主イエスにとっての洗礼は、わたしたち罪人のために死を死ぬ徴でした。十字架へと向かう苦難の僕であることのしるしでした。
主イエスがヨハネから洗礼を受けた時に聞こえた天から声、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」とはそのこと、十字架へと向かう苦難の僕、十字架で罪人の罰としての死を死ぬこと、それが神の御心に適っている神の独り子、ということなのです。
ルカによる福音書に主イエスのこういう言葉があります。「律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来神の国が告げ知らされ、誰もが力づくでそこに入ろうとしている。」ヨハネが最後の預言者だというのと同時に、それ以後神の国が告げ知らされている。ヨハネも「悔い改めよ、天の国は近づいた」と語り、主イエスは「時は満ち、神の国は近づいた」と語られた。神の支配が、神の審判の時が、天の国が近づいているのだ、と語り始めた。その中身は全く同じではないけれど、ヨハネと主イエスは天の国を、神の支配を語ったのです。そして、誰もが力づくでそこに入ろうとしている、と主は言われたのですが、それは神の支配に暴力が加えられている、というのが直訳です。つまりヨハネが語り主イエスが神の支配を語れば語るほど、神の支配に反する人間の力が、暴力が現れてくる、と言われたのです。
それはよくわかることです。
ヨハネが「立ち帰れ」という宣べ伝えをまともにすることで、ヨハネを支持する者もあらわれた同時に、そのヨハネの言葉を退けたいと思う人たちも出てきたのですから。ただ退けたい、というだけでない、殺そうと思う人も出てきた。わたしたちは主イエスが宣教を始めると同時に、主を殺そうとする人たちが出てきたことをすでに知らされています。神の国の福音が宣べ伝えられていく、そこで神の支配に対する人間の暴力が顕わになってくるのです。
ヨハネはその暴力の前で「殉教」の死を遂げるのです。ヘロデの誕生日にへロディアの娘、サロメが皆の前で踊りを踊り、喜んだヘロデが「願うものは何でもやろう」と言い出した。サロメは母親に相談すると唆されて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」と言い出しのです。ヘロデはヨハネを殺したかったのですが、民衆を恐れてもいたので、手は出さなかった。しかしヘロデはその場の座興のためにヨハネを殺して、娘の言いなりにヨハネの首を盆に載せてきたのです。
ヨハネのまこと預言者でした。神の国が近づいていることを知らせ、悔い改めを宣べ伝え、神に立ち帰るよう一人一人に語ったのです。そしてそのために、神の支配に反する人間の暴力によってとらえられ、殺されたのです。それは多くの旧約預言者に系譜につながるものです。洗礼者ヨハネは救い主の到来を予告し、自分はそのことを告げ知らせるものだとの自覚に立っていた。事実、ヨハネが捕らえられ、殺されたように主イエスも捕らえられ殺されていったので、ヨハネの歩みを主イエスの歩みの先行者のようにとらえる人もいるかもしれません。
けれども洗礼者ヨハネの死は確かに殉教の死、といえるものですが、主イエスの死はそうではない。殉教の死ではない。罪の贖いのための死、贖罪の死であって、たんに不運な死を遂げたとか、宗教的な教えのために非業の死を遂げた、ということではないのです。主は自らの意志で、十字架へと向かわれたのです。
ヨハネからの洗礼も、主イエスはヨハネの示す洗礼の意義を十分に受けとめながら、そこに主イエス固有の意味としるしを示されたのです。それは言うまでもなく、ヨハネが知ることのなかった十字架の死に関わることで、浸礼としての洗礼において、十字架の死と復活を指し示す洗礼を示されたのです。キリスト教会は洗礼をヨハネからではなく、主イエスの洗礼から、洗礼の固有の意味としるしを受けとっていったのです。
振り返って洗礼者ヨハネの歩みを思います。四つの福音書をていねいに読んでみると、それぞれ洗礼者ヨハネを捕えている視点が違うことに気がつきます。しかし、それぞれがこの偉大な預言者であるヨハネを福音書の中に書きとどめようとしたのです。ヨハネは当然のことですが、イエス・キリストの救い主の全貌を知るものではありませんでした。十字架の死も、復活も知ることなく、死んでいった人です。つまり自分が指さす救い主がどのような方なのか、未知の部分もたくさんあった。しかし彼は自分に与えられた神の言葉において、来たるべき方を証言したのです。イエス・キリストの福音の全容を、ヨハネは知る由もなかった。だからこそ彼の宣教のメッセージは神に「立ち帰れ」であって、そこでどのような恵みが、信実が、愛が、与えられるのか、というものではなかった。イエス・キリストにおける洗礼の意味も、十字架の贖罪死を知らない彼にとっては、知る由もなかった。
しかし自分に神から与えられた言葉を通して、自分の使命を受けとり、その役割を果たしていった人なのです。ヨハネはまこと自分に示された役割を担い、その役割を果たすことに、生涯をささげた。もとよりわたしたちの知ることは小さなこと、限られたこと、ある部分です。しかしそれでは何もできない、ということは決してなく、自分に与えられた限定性や、限られたものにおいて、神からの役割を果たしていく恵みが与えられているのです。洗礼者ヨハネの生涯は、言うまでもなくさまざまな限定性に取り囲まれていました。しかし彼はそれを受けとめつつなお自分の役割を全うしようとしたのです。ヨハネ福音書で、洗礼者ヨハネこう語るのです。「わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされたものだ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」ヨハネは主イエスを指差す役割を担ったのです。そして四つの福音書の著者たちは、それがどれほど尊い、神に喜ばれる、大事な役割であったか、知っていたのです。それはまさに福音書の著者たち自身の歩み、つまりキリストを福音書によって証しするという歩みにも重なり合うものだったからです。