教会暦・聖書日課による説教
2025.7.6.聖霊降臨節第5主日礼拝式説教
聖書:マタイによる福音書21章23-27節『 権威の在処 』
菅原 力牧師
主イエスが十字架にかかる直前の日々、エルサレムに入城されてからの歩みに聞いています。先週も申し上げたことですが、主イエスの歩みの全体は、深く繋がっていますし、その言葉の一つ一つも前後の関連の中で読まれるべきものですが、エルサレム入りされてからの歩みは特にその一つ一つが深いつながりと関連の中にあることを知っておく必要があります。子ろばに乗ってエルサレムに入られたと主と、神殿の境内で売り買いしていた人たちを追い出した主と、いちじくの木に向かって実がならないように、と言われた主とは、深く繋がっているということです。先週わたしたちは悔い改めて、神に向き直り、神の恵み、福音に聞いて生きること、それが神によって実を結んでいただくことになっていく、ということを聞いてまいりました。その主イエスの言葉と今日の聖書箇所もまた、深く繋がっているのです。
主イエスは神殿の境内に入り、「教えておられた」つまり、福音を語っておられた。しかしこの主の行動はおそらくエルサレムの多くの人々から見て、赦せない行動、と映ったのではないか。そもそも、神殿の境内で商売人を追い出したこと自体、異様なことでしょう。神殿を管理する者たちをはじめ多くの人たちの怒りをかったでしょう。そしてその上また神殿の境内にやってきて、教え始められたのです。それは怒り、というだけでなく、祭司長たちに対する挑発行為となったでありましょう。
主イエスのもとに、祭司長たちや民の長老たちが近寄ってきました。彼らはこう問いかけるのです。「何の権威でこのようなことをするのか。誰がその権威を与えたのか。」彼らは権威という言葉を持ち出してきました。ここでは、いろいろな意味を含むとしても、「お前がこの神殿で教える資格は誰から賦与されたのか」と問うているのです。何の資格も、何の正当性もないお前がどんな権限でここで教えているのか、と問い質してきたのです。
それに対して主イエスは、直接答えることはせず、いわゆる反対質問をするわけです。「わたしも一つ尋ねる。それに応えるなら、わたしも、何の権威でこのようなことをするのか、あなた方に言おう。ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からか、それとも、人からか。」主イエスが反対質問をされた理由は後で考えるとして、この質問は最長や長老たちの胸を抉る問いかけでした。この時、洗礼者ヨハネの名は多くの人に知れ渡り、ヨハネが預言者の一人だ、という理解は広く人々の中で浸透していました。もし祭司長や長老たちがヨハネの洗礼活動は神から遣わされた預言者としての働きだ、つまり天からのものだ、と言えば、ではなぜあなたたちはヨハネの言葉を受け入れ、洗礼を受けようとはしないのか、ということになる。一方で人からのものだ、と言えば、ヨハネが神から遣わされた預言者であることを否定することになり、ヨハネを支持する人々、群衆を敵に回すことになる。それやこれやを考え、思い巡らし、彼らは「わからない」と答えたのです。この祭司長や長老たちの判断はある意味よくわかるのではないでしょうか。自分たちに何らか不利になる結論は、わかっていても言わない、わからないと言ってその場をやり過ごす、一種の政治的判断です。
すると主イエスは、「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」と応えたのです。
この問答は、主イエスが直接の返答を避けて、議論を回避した、ということなのでしょうか。そう理解する人たちもいます。
しかし、そうではないのではないか、と思うのです。
主イエスにとって権威の問題はきわめて重要なことでした。主イエスの生涯は権威によって特徴づけられていると言ってもいいほどのものでした。
例えば、マタイ福音書の7章には、このような記述があります。「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威あるもののようにお教えになったからである。」マタイがそこで書き記しているのは、律法学者の権威とは全く違う権威、イエスご自身が権威あるものとして教えられた、というのです。
祭司長や、長老、そしてここには直接は出てこない律法学者、この人たちこそユダヤ教における宗教的指導者であり、ある意味その道の権威でありました。だから彼らはその権威において、群衆に語り、指導し、教えていたでしょう。人々もまた彼らに従っていたのです。
しかしマタイは、イエスの権威は、その人たちの権威とは、違うのだ、というのです。何が違うのでしょう。
ユダヤ教の宗教的指導者たちは、例えば律法学者は、律法についての教師でした。律法について教えていたのです。
しかしイエス・キリストは、律法についての教師ではない。そうではなくて、律法の成就者だったのです。律法という神からの言葉の成就者、キリストご自身が神の言葉を生きて実現した方だったのです。キリストは神の愛について語る教師ではない。神の愛を成就、実現し、具現した方なのです。律法について語る教師とは違うのです。律法をおのが身において成就された方なのです。
権威ということで言うならば、主イエスは神の権威について語る教師ではない。主イエスは神の権威にご自分の身において服して生きた方です。人は人の権威というものを知っています。社会が認めた人の権威です。どんな道にもそれなりの権威がいるのでしょう。祭司長や律法学者は宗教的な指導者であり、中には権威と呼ばれる人もいたかもしれない。しかしその人自身がまこと神の権威に服し続けて生きたかどうかはわからない。むしろ神の権威について語りながら、自分が権威者になったことに酔いしれていたかもしれない。神の権威について語る者が、神の権威の前で徹底的にへりくだることがどれほど難しいことか、祭司長や律法学者は逆に示したともいえます。
けれども、イエス・キリストは神の権威に服し続けてこの地上の生涯を歩んだ方なのです。権威に服することが、キリストの生涯を形成している。「キリストは、神の形でありながら、神と等しくあることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の形をとり、人間と同じものになられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで、従順でした。」というフィリピの信徒への手紙のあの言葉は、キリストの生涯が神の権威に服し続けた生涯だったということを物語っています。
逆に言えば、キリストの生涯を見ていくと、そこに神の御意志がどのようなものであるかがはっきりとわかるのです。人間を愛するということがどのような形をとるのか、神の愛の御意志がキリストの生涯においてわかるのです。それはキリストの章が神の御意志に、権威に服従するものだったからです。
神の権威を振りかざす人は昔も今もたくさんいるでしょう。まるで自分が偉くなったように、神の権威を虎の威を借る狐のようにふるまう人もいるでしょう。
しかしキリストは神の権威に自ら服し続けて、僕となり、へりくだって歩み、十字架へと歩んでいかれた。
祭司長や長老たちがまこと神の権威に服するならば、たとえそれが誰であれ、この人は神から遣わされた、神の言葉を宣べ伝える預言者である、ということを受けとめたなら、その人の語る言葉に耳を傾ける謙虚も持たなければならない。自分たち神殿に関わる宗教的指導者層でなくとも、たとえそれが在野の預言者であり、自分たちにとって耳の痛い話をする者であっても、神の権威の前に謙虚であるならば、それにも聞こうとするものでなければならない。
今日の聖書の場面、その視点から読むのなら、実に不思議な構図なのです。神の権威は振りかざしているが、神の権威に服して生きているかどうか定かならぬ者が、神の権威に服し続けて歩み、まさにその権威の服するが故に十字架にかかろうとするキリストに対して、「何の権威でこのようなことをするのか、誰がその権威を与えたのか」と言っているのですから。祭司長たちは権威に服して生きるとは、どういうことなのか、実のところよくわかっていないものだった。権威についても語り振りかざしてもいたけれど、権威に服して今日一日生きる、ということがよくわかっていなかった。だから、キリストの語ること、なすことが彼らにはわからず、23節のような質問も出てきたのです。わからなかったのです。この人たちは。
わたしたちはこの聖書箇所を読んで、たんに主イエスと祭司長たちとの問答、やり取り、というふうに受けとめてやり過ごしてはならないだろうと思うのです。ここには大事な事柄が語られています。それは神の権威の前で人はどう生きるのか、ということです。それは神の権威について何事か語ることではなく、自分の行き方の根本に神の権威というものを受けとめていくのかどうか、ということです。信仰と言っても、結局自分の考えや我(が)が主(あるじ)になってしまうことも少なくない。例えば聖書を読んでいて、自分が納得したら聞いて信じるけれど、納得できなければ、スルーしてしまう、というのは、自分を主にしている読み方でしょう。そうではなくて、神の権威の前で、神の御意志の前で、何度でも何度でも砕かれることを祈り願う。わたしの意志ではなく、あなたの御意志を実現してください、ということが権威に服していく生き方です。もちろんわたしたちは過ちと罪を重ねていくものですが、その中であなたの権威に服させてください、あなたの権威の前でわたしを打ち砕いてください、と祈りつつ歩む、それがキリスト者の信仰なのです。キリストの反対質問は、祭司長たちに対する問いかけでした。それは「あなた自身は神の権威の前でどう生きようとしているのですか」という問いかけだったのです。