ルカによる福音書連続講解説教(第1回)
2026.4.26.復活節第4主日礼拝式説教
聖書:ルカによる福音書1章1-4節『 私たちの間で成就した事柄 』
菅原 力牧師
今日からご一緒にルカによる福音書に聞いて神を礼拝してまいりたいと思います。今朝はそのルカによる福音書の冒頭の文章に聞いていきます。
新約聖書には四つの福音書があるのですが、そのそれぞれの福音書の書き出し、冒頭部分はきわめて特徴的です。マルコによる福音書は「神の子イエス・キリストの福音の初め」という言葉で始まっています。マタイはイエス・キリストの系図から始まり、ヨハネは言葉が受肉に関する文章で始められています。冒頭の文章はすぐれた書き手にとって単なる始まりではなく、これから書き記すことの要約、エッセンス、特徴、象徴となるものです。
ルカによる福音書はこの福音書を、テオフィロという人物に宛てた献呈の辞として書き始めています。それは当時のギリシア・ローマ世界において一般的な慣習として定着していたもので、ルカがギリシア文化、ヘレニズム文化に馴染んだ知識人、教養人であったことを示しています。この献呈の辞はまことに見事なこの福音書の要約であり、特徴を示すものになっています。
さて、最初にこの福音書の著者ルカについて必要最低限のお話をして、本文に入っていきたいと思います。
ルカがどういった人物だったのか、それは今日現在、わかっていませんし、おそらくこれからも特定できません。かつてはいろいろな推測と想像がなされましたが、今日ではわからないということがわかっています。パウロの伝道旅行の同行者であったとか、医者であったとか、いろいろな推測がありましたが、それらは今日では否定されています。想像で語らないとなれば、ルカが書き残したものから受け取れるものを受けとるということになります。ルカは、四つの福音書の中で、唯一福音書の後の物語、続編となる主イエスの昇天後の弟子たちの、そして初代教会の歩みを使徒言行録として書き記した人です。現在の新約聖書ではこの二つの書物は離れて置かれていますが、一つながり、二部作のようなものとして書かれた、ということは確かなことです。そしてルカは、第3世代に属する人間だったということもはっきりしています。イエス・キリストと同時代に共に歩んだ弟子たちを第1世代とすれば、この主イエスのことを始めに書き記したマルコ福音書のマルコたちが第2世代。そしてさらにその次の世代がマタイ、ルカの第3世代と言えるのです。ルカはこの福音書を精読すればわかるように、ユダヤ人ではなく、異邦人でした。しかし、ギリシア語に訳された旧約聖書に精通し、ユダヤ教に対す造詣も深い、ユダヤ人キリスト者との交流も深い人でした。そして美しい達意のギリシア語を書く人で、ギリシア文化を身に着けた教養人でした。
さてルカ福音書はこう始まっています。「わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃し、御言葉に仕える者となった人々が、私たちに伝えたとおりに物語にまとめようと、多くの人がすでに手をつけてまいりました。」これが協会共同訳聖書では1-2節として訳されています。原文は1節から4節までが一つの文章で、手を着けてまいりましたが、と後に続く文章になっています。
「私たちの間で実現した事柄」これは何を指しているのでしょう。いうまでもなくイエス・キリストの降誕、人としての歩み、受難、十字架上の死、復活、という救いの出来事でしょう。しかしルカにとってそれだけでなく、旧約聖書において予示された、預言された、証しされた神の救いのご計画、それらすべてを含み成就した事柄なのです。イエス・キリストにおいて実現したということだけでなく、神が旧約時代から意思しておられた救いのご計画がイエス・キリストの救いの業において成就した、その事柄に就て、「最初から目撃し、み言葉に仕える者となった人々」つまり主イエスの弟子たち、そして聖霊降臨後に、み言葉を宣べ伝えるため、み言葉に仕える者となったパウロをはじめ多くの人々のことを指しているのでしょう。つまり、ルカの視野の中には使徒言行録に書き記された初代教会の伝道の業があって、その拡がりの中で、み言葉に仕える人々、という言葉が用いられているのです。
「その人たちが伝えたとおりに物語にまとめようと、多くの人たちがすでに手を付けてまいりました。」これはとても大事な情報です。その人たち、つまり第1世代の人々が伝えてくれたもの、それは主イエスから聞いた言葉、主イエスの業、初代教会において宣べ伝え続けてきた主の言葉と業。それを物語という文学類型、フォームでまとめて伝えようとした人がいたのです。主イエスの語られた言葉も、口伝のままではばらばらの一個一個の伝承です。現代風に言えば、メモ書きにしたものがばらばらに積み重なっている。それでは今の時代の人に、後の時代の人に伝わらない。それを主イエスの歩みにおいて、伝記風の歩みにおいてこの時これを語り、それからこれを語り、という具合に物語として編むのです。物語という言葉については以前もお話ししましたが、日本語の意味でいう作り話、フィクションということとは全く違います。物語という言葉の意味は歴史、です。しかもその歴史は、たんに事実を無作為に並べていくことではない。ストーリのある、繋がりのあるものとして編んでいくのが歴史としての物語です。そうやって主イエスの言葉やわざがメモ書きの集積ではなく、主イエスという方の地上での歩みに即して言葉やわざが一つ一つつながりを持って編まれていく、そういう物語にまとめようとして作られたのが、福音書という全く新しい文学フォームだったのです。多くの人が着手したのですが、実際いろいろな取り組みがあったのでしょうが、福音書として形を成していったのは、ルカがこの序文を書いている段階では、マルコによる福音書だけだった。マタイはマタイで福音書を書き編集作業をしていましたが、ルカがそれを読んでいたかどうかはわからない。たくさんの主イエスの語った口伝承や資料はあったのですが、形になって読めるものはマルコによる福音書だけでした。そしてルカはマルコとはまた別の視点、特徴を持って福音書を書こうとしていた。それが、「テオフィロ様、わたしもすべてのことを初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。」というルカの言葉によく表れているのです。テオフィロという人はおそらく実在の人物でキリスト教に深い関心を寄せていたローマ帝国の高官です。
ルカはイエス・キリストの福音をローマ帝国の高官に読んでほしいと願って、この献呈の辞を書いている、それは同時に、この福音こそが全世界に語られる神のメッセージであることを受けとめているが故の献呈の辞であり、それがすなわち、私たちの間で成就した神の御わざだからなのです。
そしてルカが書こうとしているのは、すべてのことを初めから詳しく調べ、順序正しく書く、ということでした。ルカは、旧約聖書において語られていることの背後には神の救いのご計画、意思があり、それが時満ちて、独り子なる御子の降誕という出来事になり、人としての歩みがあり、十字架と復活の救いの業が、成就したことを受けとめていました。そしてそれはさらに、聖霊による教会の伝道の業へとつながり、終末へと向かう歩みを形成していく、そのような神の救いの歴史があるのだ、それを順序正しく書いて、あなたに献呈する、というのです。ルカには神の救いの歴史、救済史という神の救いの歴史を明確に受けとめる信仰があり、それをこの福音書と続く使徒言行録とで書き表していくのです。
この福音書で書き記しているのは、具体的にはイエス・キリストの降誕以後のことであり、イエス・キリストの福音です。けれどもルカの視野の中には、今申し上げた神の救いのご計画があることをルカはしっかりと受けとめてこの福音書を書いているのです。
「お受けになった教えが確実なものであることを、よくわかっていただきたいのです。」この文章、直訳すると「学ばれた言葉について確実なことを確認していただけますように。」となります。お受けになった教えというのは、テオフィロがおそらく、これまでに聞いてきた主イエスの断片的な言葉、わざのことです。それが、この福音書を読んでいただくことで、断片的で、バラバラなものが、この文脈の中で読むべき言葉だった、こういうイエス・キリストの歩みの中で語られた言葉であり、わざであったということをしっかりとした形で確認していただきたい、と言っているのです。
私たちの日常においてもよくあることですが、発言者がどういう状況の中で、どのような関係性の中で語った言葉なのか、ということが分からず、言葉だけが切り取られた形で伝わると、言葉だけが独り歩きしていきます。
福音書という一つの文学フォーム、物語の中ではじめて主イエスの言葉とわざの背景が、関係性がはっきりと捉えられ、その言葉の意味と力が受けとられていく、ということをルカはここで語っているのです。
先に書かれたマルコによる福音書は第2世代に属するマルコによって書かれたもので、主イエスの言葉と業とを全く新しい福音書というフォームに纏め編集した先駆的な福音書でした。ルカもこれを感謝と喜びのうちに読んだでしょう。と同時に、このマルコ福音書の書き得なかったさまざまな事柄をルカは福音書と使徒言行録に書き纏め編集した。第3世代に属するものとして、世界伝道という広がりの中で、ルカはこの福音書を書き記した。私たち自身も、ルカ福音書に聞くことにおいて、私たちの間で成就した事柄を、神の救済の歴史の文脈の中で、イエス・キリストの十字架と復活の出来事を受けとりながら、終末へと続く教会の道のりを、私たちの信仰の歩みを、主のみ言葉に聞きつつ、確かなものとして受けとっていきたいと思うのです。